菊池風磨の父・菊池常利とは?シンガーソングライターの活動を徹底解説
菊池常利のプロフィールと経歴
菊池常利は1966年6月20日生まれの57歳、神奈川県横浜市出身のシンガーソングライター、作詞家、作曲家です。本名と同じ「菊池常利」を芸名に使用しています。アーティストネームは「TWUNE」を用いており、この名前には「Small(些細な存在)よりWorld(大きな舞台)であれ」という意味合いが込められています。
幼少期は福島県の矢祭町で過ごし、5歳から18歳までをこの地で育ちました。地元の自然豊かな環境に育まれたことが、後の音楽性に影響を与えたと言われています。高校卒業後は横浜に戻り、19歳の頃から本格的に音楽活動をスタートさせます。
横浜を拠点に、東京を中心とした首都圏でライブ活動を重ねながら徐々にキャリアを積み重ねていきました。フォークロックをベースにしつつ、ポップスからロック、ダンスミュージックまで、ジャンルを問わず様々な音楽に携わっていきます。
フォークデュオ「LA-LA Deux」での活動
1989年には吉川正己とフォークデュオ「LA-LA Deux」を結成。翌1990年にインディーズレーベルからデビューアルバムをリリースすると、都内の小規模ライブハウスを中心に活発なライブ活動を展開します。その後も作品を次々とリリースし、2001年には「FM横浜インディーズバンド賞」を受賞するなど着実に実力を付けていきました。
デュオ活動を経て、2001年に吉川が事務所のプロデューサーになったことをきっかけにソロ活動に切り替えます。2002年には1stソロアルバム「/cloudy」をリリースし、作詞・作曲家としての活躍の場を広げていきました。近年ではドラマ・映画の主題歌を手掛けるなど、マルチに活躍する人気アーティストとなっています。
ソロ活動での代表作品
2001年、フォークデュオ「LA-LA Deux」のもう一人のメンバー、吉川正己がジャニーズ事務所の音楽プロデューサーに就任したことをきっかけに、菊池常利はソロ活動に舵を切ります。翌2002年10月には1stソロアルバム「/cloudy」を発表し、作詞家・作曲家としての地位を確立させていきました。
「/cloudy」は大ヒットを記録したほか、2003年にはデュオ時代の代表曲を収録した「LA-LA REMIX」と題したベストアルバムを発表。シンガーソングライターとしての評価を不動のものとしていきます。
菊池常利が最も有名なのは、デビュー当初の2001年に、ジャニーズ人気グループ・嵐のデビュー曲「A・RA・SHI」の作詞を手掛けたことです。この楽曲は嵐にとって記念すべき重要な1曲であり、J&T名義での参加となりました。
その後も、男性アイドルグループへの楽曲提供を続けており、TOKIOの「Only One Song」「Nice Guys」、滝沢秀明の「under world」、今井翼の「2nd face」など、数多くのヒット曲を世に送り出してきました。
近年は様々なジャンルの主題歌やCMソングなども担当しています。「Winning Shot」(ソフトテニスイメージソング)、「All for each」(農協テーマソング)、「JRトレン太君」のCMソングなど代表作が目白押しです。メロディアスでキャッチーな楽曲が多いことから、幅広い年齢層に親しまれているアーティストです。
クールな雰囲気と気さくな人柄の両面を併せ持つ菊池常利は、発表するたびに話題を呼んでいます。作品のみならず、プライベートでは美容師の資格を持つなどユニークな一面も持ち合わせています。
シンガーソングライターとしての評価と人気
菊池常利が高く評価されているのは、何よりも優れた歌唱力と音楽性の高さです。フォークロックをベースにしつつも、ポップスからロック、ダンスミュージックまで、様々なジャンルの楽曲を自在に操ることができる実力派だと同業のアーティストからも評されています。
作詞・作曲はもちろんのこと、演奏、プロデュースなど制作の全ての過程に携わり、オリジナリティ溢れる楽曲を次々と生み出してきました。聴く者に心に響く歌詞と、耳に残るメロディラインが人気の要因でしょう。
また、ライブパフォーマンスでの高い歌唱力と、ファンを楽しませるエンターテインメント性も魅力です。男性らしい低音ボイスから、草食男子のようなかわいらしい歌声まで、声の使い分けが抜群だと指摘されています。プロの音楽家としての高い技術力は折り紙付きです。
菊池常利の人柄の良さも、幅広い層から支持される理由のひとつです。かつてはロックなイメージが強かったものの、近年はフォークやポップスの分野でも活躍の場を広げており、柔軟な音楽性が魅力となっています。作品を通じて気さくな人柄が伝わり、親しみやすいアーティストだと言えるでしょう。
将来的な活動として、後進の育成や音楽教育への貢献に力を入れていく構えです。ユニークな経歴と人柄から、音楽ファンのみならず幅広い層に支持される存在になっています。
菊池風磨との家族関係と影響
菊池家の家族構成
菊池常利の家族構成は、妻と3人の子供からなる5人家族です。長男が、ジャニーズアイドルグループ「Sexy Zone」のメンバーとして活躍する菊池風磨です。次男は新日本木村ジム所属のプロボクサー・菊池音央と、スポーツ界で活躍する兄弟です。さらに、菊池風磨より12歳年下に、妹が1人います。
こうした家族構成から、菊池常利が子供たちにとって身近な存在だったことがうかがえます。音楽一家として、幼い頃から子供たちは父親の音楽活動に触れる機会が多かったはずです。
菊池風磨は幼少期から音楽に囲まれた環境で育ったことで、芸能界入りをする夢を抱くきっかけとなりました。一方の菊池音央は、父の影響を強く受けたわけではありませんが、スポーツへの熱意は家族を通して受け継がれた面があると言えるでしょう。
このように、菊池家の3人きょうだいはそれぞれ異なる道を歩んでいますが、家庭環境が大きな影響を与えていると考えられます。中でも長男の菊池風磨は、幼少期から親しんできた音楽の世界に魅了され、父親の背中を追う形で芸能界入りを実現させました。
父子の関係性
菊池常利が長年に渡りジャニーズ事務所の楽曲提供を行っていたことから、事務所との縁もありました。そうした環境があったからこそ、長男の菊池風磨はスムーズにジャニーズ入りを果たすことができたと言えます。菊池常利は息子の夢を後押しする形となりました。
一方で、菊池風磨のソロ活動においても、父親である菊池常利が深く関わっています。代表作の1つである「Cocoa」では、作詞・作曲を菊池常利自らが手掛けるなど、親子で楽曲制作に携わるという稀有な経験を重ねてきました。
このように、音楽の道を歩む父と同じ道を選んだ息子。2人の関係性は師匠と弟子を思わせるものがあります。菊池風磨はこれまでのインタビューで「子供の頃から音楽に囲まれて育ったおかげで、夢を諦めずにすむ環境にいた」と語っています。さらに「父は常に私を応援し、サポートしてくれた大切な存在」と親しい2人の絆を明かしてきました。
芸能活動を共にする以上に、家族として深い愛情を持ち合う親子であることが分かります。菊池風磨は父の影響を色濃く受けただけでなく、音楽面でも心理的にも常に父の支えがあったことが伺えます。
一方で、父子の関係はあくまでも家族愛に根ざしたものです。菊池常利は息子のキャリアを強要するようなことはなく、音楽活動を通して自然と影響を与えてきたに過ぎません。菊池風磨自身が音楽の道を選び、父の助言を求める形で親子の絆が深まっていったと考えられます。互いに束縛されることなく、音楽と家族を両立させてきた2人の関係は、ファンからも高く評価されているようです。
菊池風磨が語る父への思い
菊池風磨は過去のインタビューで、「子供の頃から音楽に囲まれて育ったおかげで、夢を諦めずにすむ環境にいた」と父への感謝の言葉を述べています。また「父は常に僕を応援し、サポートしてくれた大切な存在」と語るなど、親子の絆の深さがうかがえます。
父子で見られるエピソードの紹介
菊池風磨が中学生の頃、ジャニーズ事務所のオーディションに合格した際、父の菊池常利が事前に事務所関係者に内緒で内申書を送っていたエピソードが有名です。入所する際は父のことについて黙っていましたが、後にジャニー喜多川社長から事実を知られ、叱責されたそうです。この一件がきっかけで、親子のつながりが強くなったと言われています。
菊池常利のインスタなど近況
現在、菊池常利はInstagramを開設し、近況を発信しています。楽曲制作の合間に野球を楽しむなど、音楽活動と並行してプライベートな側面も見せています。
学校講演活動での活躍
菊池常利は、これからの社会を担う生徒たちに夢を持つことの大切さを伝えるべく、全国の中学校や高校で学校講演活動「スクールライブ」に精力的に取り組んでいます。生徒たちに「想い」を熱く語り、そのメッセージと共に歌を届けているそうです。フリースクール公演にも積極的で、若者に寄り添う姿勢が高く評価されています。